東京で44年間暮らし、2011年に故郷の熊本での生活を
再スタートしたエッセイストの吉本由美さん。
「もっと九州を知りたい!」と、気になるもの・味・人を訪ねる旅に出た。
エッセイ=吉本由美 構成=三星舞 写真=編集部


偶然のお導きで
〝ピザ友〟の店へ

 梅雨の合間の貴重な晴れの日、熊本県玉名郡和水(なごみ)町へ出かけた。熊本市内から車で1時間と近郊の町だけれど、これまで用がなかった私には初めてのエリアだ。2006(平成18)年菊水町と三加和町が合併してできたが現在の人口はおよそ一万人。つまり、これといった産業のない他の町同様、年々人口が減少し高齢化が進んでいるという状況らしい。
そういうところに何をしに行ったのかというと、町というか村(?)の一角に〝肥後民家村〟という町運営の文化施設があって、その敷地内で営業する古民家カフェ「kinon café&arts」にお邪魔するためである。つい先日前まで、民家村のこともカフェのことも知らなかったのだが、ある偶然のお導きがあり、本日こうして未知の町へと向かうことになったのだ。


 視界を遮るもののない田園地帯、強い陽差しを浴びて目に痛いほどの緑の中を編集女史愛用の車で快調に走っていると、道路沿いのあちこちに古墳案内の幟や看板が見えてきた。塚坊主古墳、虚空蔵塚古墳、江田船山古墳…などと読め、知らなかったがここらは古墳地域のようだ。道路標識はこの先山鹿となっていて、そういえば山鹿市にもチブサン古墳、オブサン古墳があるわけで、この一帯の丘陵地は太古の昔から人々が住むにふさわしい、暮らしやすい風土だったということか、と、なだらかに広がる田畑を眺めていると古代の人たちへ思いが飛ぶ。


 その中もうひとつ目に付くのが〝金栗四三の生まれた町〟と書かれた幟である。古墳案内の幟の間で負けてなるかとはためいている。それを見て、そうだ、玉名は日本の〝マラソンの父〟と呼ばれた金栗四三の出身地だッ、と膝を叩いた。玉名の和水町へ行こうと決めたとき、頭の隅で何かが騒いだのだけれど、今の今までそれが何かは判らなかった。そうか、その何かって金栗さんだったんだ。
私も30~40代はランニング女子だったので金栗さんはリスペクトしている、ファンである。特製のマラソン用足袋を足袋屋さんに作ってもらったとか、1912年ストックホルムで開催されたオリンピックでの途中棄権&行方不明事件およびその55年後改めてのゴール話とかの、ひたむきな人物ならではのエピソードも大好きだし、何と言ってもあの〝箱根駅伝〟の発案者と聞けば、「好きよねえ」「走りたいのねえ」と思わず笑みがこぼれ落ちる。そしてついに来年(2019年)、NHK大河ドラマで金栗さんを主人公とした『いだてん』が始まると聞いては、2020年の東京オリンピック前にちょっとした金栗ブームが来るんじゃないかと、同郷の身だからこその捕らぬ狸の皮算用をしていたところでもあったのだ。
金栗さんを演じる歌舞伎役者の中村勘九郎は容姿からして適役だ。以前ラジオで「走るのはそれほどきつくはなかったけれど方言が難しくて苦労しました」と収録話を喋っているのを聞いて笑ったが、いずれにせよ、今年『西郷(せご)どん』で鹿児島がブレークしたように、来年の『いだてん』効果でこの静かな和水町も注目されたらいいけど…などと思いを巡らせているうちに、車は「肥後民家村」という大きな看板を通り過ぎて美しく整備された公園に入った。公園の向こうにはこじんまりとした森が広がる。緩やかに下るアプローチの先に茅葺き屋根の門があり、そこに私たちを待つ編集長(本日はカメラマン)とガイドの方の姿が見えた。


中に入る前に、ここを訪れることになった「偶然のお導き」についてひと言。取材先を決めなければならない5月、編集女史から送られて来た取材先の「kinon café&arts」のところで目が留まった。オーナーは上妻貴子さん・野乃花さん親子と記されていたのだ。ん? 野乃花? 近年物忘れの激しい私だが野乃花という個性的な名前は忘れようもない。そうだ、この冬ピザの大食いをヘルプに来てくれた〝あの娘さんだ〟とすぐに思い到る。
熊本の街中に美味しいピザを食べさせる店があり、せっかくならばあらゆる種類を食べたいものだと考えた私は、同行の友に 〝大食漢の若者〟をヘルプに連れてきてくれるよう頼んだのだった。当夜、野乃花さんは弟・森土くんを引き連れて参戦してくれた。そのとき彼女、玉名でカフェをやっていて食べるのが好きなんで、みたいなことをチラッと言っていた気がするが、頭の中がピザのことでいっぱいだったせいかうろ覚え。しかし二人が力を発揮してくれたおかげで、念願の10種類のピザを食べるという奇行愚行は成し遂げられた。満足して店を出て感謝の気持ちを述べると、姉弟は、森の中だから気持ちいいですよ、ぜひ遊びに来て下さい、と言う。じゃ近いウチ遊びに行くよ、と軽いノリで答えてお別れしたのだったが、まさかそれがこんなに早く実現するとは。これぞ偶然のお導き。野乃花の文字を見つけた以上行くしかない。そうよ、偶然に身をゆだね、いざ行かん、森の中へ!

 という成り行きで今「肥後民家村」の入口ゲート、茅葺き門に着いたのだが、「kinon café&arts」に顔を出す前に、「肥後民家村」の全貌を知りたいとガイドの方(一森壽子さん)のナビゲートでまずは敷地のおへそのような一角を眺める。門をくぐってすぐの目の前の、一段下がって広々とした敷地は野外劇場と言う。確かに舞台と客席が半円形の形で向き合っている。客席中央はテーブル席だから飲食も可能。ときどきだけれどここでコンサートやお芝居が演じられます、と一森さん。まるでローマのコロシアム、と言っては大げさだが、舞台から空に向かってすり鉢状に広がる野外空間は一見の価値がある。大空の下、風に吹かれ、良い音楽を聴きながらお弁当を食べるなんて、想像するだに至福のひととき。和水町の人はこんな素敵な体験をしていたのかと羨ましくなった。
「じゃ、いちばん大きな民家を見ましょうか」。一森さんに促され、我々は民家村右奥の立派な佇まいの建物へ向かった。


(つづく)
次回更新は、6月27日の予定です。