東京で44年間暮らし、2011年に故郷の熊本での生活を
再スタートしたエッセイストの吉本由美さん。
「もっと九州を知りたい!」と、気になるもの・味・人を訪ねる旅に出た。
エッセイ=吉本由美 構成=三星舞 写真=吉本由美、三星舞
積年の思いを抱いて、いざ長崎へ
私には、死ぬまでにどうしても観ておきたい、観客として参加したい、と念じている祭りが3つあって、その①が徳島の〝阿波踊り〟、その②が岩手の〝チャグチャグ馬コ〟、そしてその③が〝長崎くんち〟だ。(ついでに付け加えると④が日田の祇園祭、⑤が小倉の祇園太鼓、⑥が唐津くんち)。ところが猫シッターさん不在の今、日帰り以上の旅ができないために徳島や岩手へ行くのはまずもって無理。だけど長崎ならばなんとかなるんじゃないかな、近いうちに行こうかな…なんて思ってのほほんとしていたら早くも70歳を超えてしまった。きっとこのまま数年経って歩けなくなり結局夢で終わるのよね、と半ば諦め気分でいたのだが、そういうだらだら状態にカツを入れたのが1年前に友だちがあげたインスタグラム、7年越しの思いを込めて行った彼の感動と興奮がリアルに伝わって来る長崎くんちの報告(そこでは椛島町の太皷山〝コッコデショ〟が紹介されていた)だ。読んでいる私も血が騒ぎ、もはや行かないではいられなくなった。しかしそのとき祭りはもう終わっていた。それで翌年を目指し、〝長崎くんち見物計画〟を練ることになったのだ。
そもそも長崎くんちとはどういう祭りなのか。毎年ニュースで報道されその名は全国に知れ渡っているがくわしくはご存じない方も多いだろうから、本当にザッと、超簡単な紹介をしよう。
長崎くんちとは、毎年10月7日から9日までの三日間、氏子が1年のご加護に感謝し新たな加護を願って演し物を奉納する長崎市の氏神〝諏訪神社〟の秋の例大祭のこと。寛永11年(1634年)に始まり令和の今年まで400年近い長い年月受け継がれてきた伝統行事だ。昔は旧暦の9月9日に行われていたから「くにち」と呼ばれ、それが訛って「くんち」になったという。
諏訪神社に奉納踊りを出す毎年の当番町を「踊町」と言う。長崎には踊町が77カ町あり、それを11カ町ずつ7つに分け、7年に1度の輪番制でお役目を務めるという7年1巡のシステムが昔からあった。町の数は減ったにしてもその輪番制は現在まで続いて、だから1年前私の友人が狂喜乱舞した椛島町の太皷山〝コッコデショ〟を見ようと思うと7年先になる。つまり7年間は毎年異なる演し物を観られるということでもある。現在その年の踊町は5つから7つ。伝統のものから新しくアレンジを加えたものまで、それぞれの町の個性と誇りを表した演し物で観客を沸かせている。
今回も前置きが長くなったが言いたいことは要するに、計画を練っているうち、祭り最大の呼び物であるその年の演し物全種類が一気に披露される奉納踊りを観るには日帰りでは無理とわかったということなのだ。奉納踊りは踊り場と呼ばれる神社やお旅所で行われるが、そこは桟敷席でお金も予約も必要だし、演じる時間帯は朝か夕方。すると遠方からの観光客はどうしても1泊必要になるのだけれど、泊まれない私はいったいどうすりゃいいのだ…ってことなのである。
で、調べていくうちに奉納踊りのほかに「庭先回り」という可愛らしいのがあるのがわかった。「庭先回り」(この言葉がいいですね!)とは、各踊町が神前に奉納した演し物を日頃お世話になっている氏子(会社、店舗、個人宅など)に〝お裾分け〟して披露呈上するというもの。奉納踊りを済ませた踊町が町のいたるところで演じているので、誰でも無料で観られるのだ。もちろん〝お裾分け〟だから〝本場所〟(奉納踊り)の10分の1にも及ばない短かさらしいが、町のあっちこっちでやっているのを無料で観られるんだからそれで充分、言うことなしだ。あっちこっちでやるっていうならこっちもやりましょう〝おっかけ〟を! という気分が沸き立つ。
ということになって、10月7日の月曜日、苦手な早起きもクリアして熊本駅に向かった。編集女史をピックアップし、タクシー飛ばして無事7時30分到着。乗るべき新幹線「つばめ」は8時ジャスト発だから悠々スタバでコーヒーを買い込み新幹線口に行くと、これまたどうしたことかしらん、スーツケースをぞろぞろ引いた大勢の外国からの旅人が列をなしている。熊本の場合、外国からのお客さんといえば中国・韓国・東南アジアからの黒髪軍団が中心だ。けれど今朝はめずらしく毛髪も服装も明度の高い華やか団体で、びちゅびちゅびちゅびちゅと聞こえてくるムクドリの囀りのようなおしゃべりに私は〝ははーん〟と小指を立てた。そう、そう、そうだった、昨日は熊本でラグビーのワールドカップ1次リーグ、フランス対トンガの試合があったのだった。この人たちはその応援にはるばるフランスからやって来たラグビー・ファンなのだ。見たところ中高年ツアーなのだが、長旅の疲れも昨夜の勝利で吹っ飛んだのか、どなたもはち切れそうな笑顔である。次の試合地へ移動されるのか、あるいは帰国されるのか、朝も早くから新幹線に乗ろうと並んでおられるわけね。ごくろうさまです。ムクドリ軍団に巻き込まれないよう一足お先にホームに出た。
8時発の新幹線つばめに乗り、新鳥栖駅で在来線の博多駅発長崎行き「特急かもめ」に乗り換えたのだが、ここでも意外な現象に出会う。何と平日の朝の「特急かもめ」自由席車両が超満員なのだ。ガラガラと思っていたのでビックリした。乗車口まで人があふれなかなか車両内に進めない。
何とか車両内にたどり着いたとき「かもめ」は走り出した。けっこう揺れるがチビな2人は人に挟まれ身動きできない。油断して自由席を選んでいた編集女史に「指定席車両に移ろうか」と言うべきかどうか迷っていたら、編集女史目敏く荷物起き前の隙間に目をつけ「あそこに入りましょう」と言う。幅30×奥行き70センチほどのあくまで荷物用のスペースなのだが、デカイ人たちに埋もれて息苦しさに耐えるよりマシだと滑り込んだ。女史も続き、立っているだけの身動き取れない体勢なのだがそれが車両の揺れからガードしてくれ存外楽ちん。「これこそチビの特典よね」と笑い合った。
とはいえ長崎までの2時間このまま〝のしイカ状態〟でいるわけもいかず、どこかに空席はないものかと車両内を見回す。車両にはちらほらといる外国人も含め圧倒的に旅行客風情の人が目立つ。ということはみんなくんちを観に行くのだろうか、つまり長崎までこのまま席は空かないのだろうか…など、右に左に前に後ろに揺れながら考えていると、これも思いがけない現象だったが、鳥栖から十数分走った最初か2番目の駅で、座っていた人たちのおよそ半分がドドッと降りたのだ。その理由はわからないけれど我ら隙間からすばやく飛び出し空席確保。やっと人心地ついていると隣の車両から熊本駅で見かけたフランス人団体さんのうちの6名がワイワイと入ってきて、それぞれに空席を見つけて席に着いた。60代後半と思しき男女混合のこの6名、熊本駅でもトリコロール・カラーのテープを巻いたお揃いの紺の帽子を被り他の人たちから離れてワイワイやっていたから、仲良しグループ6名でラグビー応援ツアーに参加したのだろう。そしてオプションか何かで長崎くんちを観るにことにしたのだろう。熊本から長崎までは約3時間。お年にしては行動力あるなあ。
庭先回りのおっかけ、レッツゴー!
乗車時間2時間あまりの間に、編集女史から渡された長崎くんちの〝庭先回りMAP〟と“庭先回りスケジュール表”を見比べながら自分たちのルートを組み立てた。今年は今博多町、魚の町、籠町、江戸町、玉園町の5つの踊町の当番だ。いちばん人気の椛島町「コッコデショ」は観られないが、籠町の「龍踊」(じゃおどり)がある。ということはその昔出会った龍と再会できるのかも知れない。
20年前の話になるが、橋が好きなので中島川に架かる石橋群を渡りに来たとき、新地中華街先の籠町通りから館内町に入り唐人屋敷通りの急な坂を上ってみたのだ。坂も好きなのであるとどうしても足が向く。細くて長い唐人屋敷通りのいちばん上に天后堂という小さな唐寺があり、入ってみると堂内に龍踊りに使う大きな龍が立て掛けてあった。作り物とはいっても迫力満点、まじまじ見ているとお詣りにいらしたおばあさんが「それはね、7年に一度くんちに出す龍ですよ」と教えてくれた。くんちにおいて龍は「りゅう」でなく「じゃ」と呼ぶとも教えてくれた。それからアッという間に時は流れ私はすっかりしょぼくれたけれど、龍はどうだろ、あの龍は? とやっぱり気になり、何はともあれ龍踊だけはしっかり観ようと決意する。
終点のJR長崎駅に着くと改札を出た先のかもめ広場が庭先回りの会場になっていて、すでに人々がわんわんいる。紅白垂れ幕の中には人々が座り込み、11時開始の今博多町「本踊」を今か今かと待っている。私も混ざって座り込んだ。右や左のおじ様おば様に会釈して「愉しみましょう」の目配せを交わす。今博多町は博多の商人たちが移り住んできた町で、遊郭が作られ遊芸を生業とする女性たちが多く暮らしていたそうだ。そういう町の特性から綺麗どころの踊りを披露するようになったという。ざわざわしているところにアナウンスがあり場が静まると「花紙」をつけた枝を持った駅長さん副駅長さんが登場。

続いて紋付きを着た町役員(紋付組)さんが登場し、日頃お世話になっている駅長さんらに「呈上札」を渡し、これから短い踊りを披露させていただきますと告げる。すると音もなくシャギリと呼ばれるお囃子が出て来て並び、
そのあと静々と登場した鶴の姿の踊り手と三味線方がご挨拶。

6名の踊り手が長崎港から飛んで来た6羽の鶴の姿となって舞踊る。
1曲目が終わると場内からアンコールの意の「ショモーヤレ」の掛け声が。私も負けずに両手を挙げて「ショモーヤレ!ショモーヤレ!」
周りの方々と一緒になって何度も手を挙げ「ショモーヤレ!」をやる。お隣の方の話ではこのショモーヤレ、「〝所望するからもう一つやれ〟が詰まったらしか」であるそうな。テレビ中継も入っていてそのアナウンサーが言うに「モッテコーイ」もアンコールを意味する掛け声で、演技が終わった後「モッテコーイ」と掛けて何度も演技を繰り返させたり、なかなか入場してこないときの催促にも使うそうだ。はやく叫んでみたくなる。気分が浮き浮きしてきた。長崎に着いてまだ半時間も経っていないのにすっかり〝くんち気分〟である。
長崎に来たからには皿うどん
もうすぐ正午。ランチを求めてだいぶ前から決めていた「群来軒」に向かう。この前、といっても20年前長崎に来たときは、グルメの友だちから「そこの皿うどんを食べなきゃ長崎に行った意味がない」と薦められていたK店に行き、タクシーの運転手さんから「あの店では催促してはいけない。文句は言わずじっと持て」と言われていたので20分じっと我慢してありつけたのだった。もちろん美味しかったが、今となって思うと待ちに待って食べたからそう感じたのかもしれない。「群来軒」は長崎在住の知り合いと長崎ファンの友人のお薦め中華料理店。有名店らしく、駅前からタクシーに乗り「群来軒までお願いします」と告げると運転手さんすぐに走り出した。タクシーは電車の走る大波止通りを南下。江戸町通りに左折して中島川に沿って走って途中庭先回り中の演し物を追い越した。速かったのでどこの演し物かはハッキリしない。
思った通り群来軒の前にはすでに人の列ができていた。祭りの最中で、お昼時で、美味しいとくれば混むのは当然で、苛つくこともなく私たちも後に付く。しばらくするとトントントトンという太鼓の音とぴーひゃらぴーひゃらと風流なシャギリの音が聞こえてきた。その方向へ目をやると、1本先の通りをさっき見た演し物が横切っていく。曳き物の船のようだから魚の町の「川船」だろうか。
おっかけにやって来た以上追っかけなければ、と列の並びは女史に任せて追いかけた。やはり「川船」で、後について回り初〝おっかけ〟を遂げる。船を動かす根曳きと呼ばれる男性群のカッコ良さにどぎまぎしてシャッターチャンスを常に逃す。

魚のロゴ入りのはっぴを着て、番号の着いた「連絡旗」とご祝儀代わりの「花紙」を持った女性が群来軒の前に立った。〝演し物があとどのくらいでここに来るか〟を知らせる役目のようである。長崎くんちでは祭り当日御祝儀を現金で渡すというような無粋なことはせず、裏に住所氏名を書いた「花紙」を渡し、現金は後日踊町事務所に届けるという。

チョークのマークは会社や店舗や個人宅に呈上札が届いている印で、踊り本体に演じる場所を知らせる役割。「ウ」とあるのはここに魚の町(うおのまち)の演し物が来るという意味。

ついに「川船」の先触れが群来軒にやって来た。私も含め皿うどんを食べようと並んでいた人たちが大騒ぎでスマホを向ける。

間を置かず店の真ん前に「川船」到着。魚の町は昔魚市場があったため「川船」を奉納するようになったという。屈強な根曳衆が囃子方や船頭の乗った重い船を「右2回転半」回す伝統技の船回しが見どころだが、その雄大さや迫力は群来軒周辺の狭い道路では充分に味わえないのが残念だ。

「川船」も去り、だいぶ待たされて店内に入れた。今日は人が多いから相席で、とか、注文が多いから時間が掛かる、とか、店の人にいろいろ言われて2階の丸テーブルに一人旅の女性とご一緒する。もちろん店内は満席で、家族連れやグループが多い。私と一人旅の女性は皿うどん、編集女史はちゃんぽんを頼んだ。それからは、献立を穴が開くまで見つめたり、ほかのテーブルに運ばれてくる料理を眺めたり、おしゃべりしたり押し黙ったり、用もないのにスマホを開けたり、昔行って待たされたT店を思い出したり…していただろうか、30分ほど経って皿うどんが運ばれてきた。編集女史のチャンポンはまだだがお先にいただくことに。店の特製のソースを掛け回して食べるのだけれど、ウン、これはほんとうに美味しい。

薄味の具の中から細くシャリシャリした麺が出て来て、その甘味と薄味の具のとろみが重なった味は今まで食べた皿うどんの中でいちばん美味しいかもしれない。

半分食べ終わってもチャンポンが出てこないので、残りの皿うどんを編集女史に回す。こうやって分け合い大切に食べると皿うどんはますます美味しくなっていく。ついに編集女史食べ終わるかという頃やっとチャンポンが出て来た。店のお給仕の方恐縮して「何しろ一人で作っているからお客さん多いと間に合わないんですよ、すいませんね」と言い繕う。チャンポンも分け合って食べたが、皿うどんが美味しすぎたせいか、チャンポンは待たされたわりに味はそれほどには思えなかった。
さあ、本格的におっかけ開始
群来軒を出て中央橋から県庁坂通りに入る。
なだらかな坂と大きな街路樹の続く気持ちのいい大通りだ。

その通りと市役所通りがT字路の形で繋がっている交差点に人だかりがしている。カメラを構えている人に聞くと「これからおくだりの行列が通る」と言う。何の事やらわからないのでそのときはそのまま受け流し、編集女史には「何か通るらしいよ」と言って撮影を任せ、見物客の一員と化して行列を待った。しばらくすると広い道路の向こうから何かがやってくるのが見えた。「あ、来た、来た、来たー」と前でスマホを掲げていた女性が叫びながら振り向き、私を見て眼を丸くされた。たぶん後ろには家族か友人がいると思っておられたのだろう。笑いを抑え「何が来たんですか?」と訊ねると笑顔になったその人も「おくだりの御神輿行列よ」と言う。誰もが口にする「おくだりの行列」とは何のことかと遠方に眼をじじっと凝らしていると、徐々に姿が現れて、次第に行列のご一行とわかってきた。時代絵巻の再現というか、神事に携わる様々な恰好をした子供も含め老若男女がぞろぞろと、ものすごい数途切れることもなく歩いて来る。壮観と言ってもいい。
神馬もいたので思わず前のめりになり見入ったが、見たところ馬くん嫌気が差したのか、歩みを止めて動かなくなった。いや、いや、いや、と頭を左右上下に振る。それを引き手の人たちが説得している。しばらくしたら歩き始めたのでやれやれと胸を撫で下ろす。

帰りに乗ったタクシーの運転手さんが教えてくれたのだが、この神馬「昔一度中止になっとったのが市民の要望で復活したとですよ。ところが騎手が振り落とされてまた中止になり皆がっかりしとってね、で、それが今年復活したばかり」だそうで、馬は気難しいからなあ。無事に勤めを果たせますように。
しかし長い。この行列長すぎる。いったいいつまで続くのかしらと退屈しかけたところに賑やかな御神輿が1体やって来た。後方にもいくつか見える。再び周囲からの耳情報では、行列のトリをとるこの神輿、3体で諏訪神社から走り出て港のお旅所まで駆け抜けるらしい。それをおっかけようとしてか最初の神輿の通過と同時に見物人もぞろぞろと移動する。すごい数のおっかけである。何が何だかよくわからないが私たちも皆に倣っておっかけるしかない。

ぞろぞろと県庁坂通りを下って電車の走る大波止通りに出た。その大きな交差点の角にカステラで有名な文明堂があった。庭先回りのMAPを見ると、大波止通りを超えた先に長崎港があり、その一郭に「お旅所」の文字がある。そして大波止の交差点にははっぴ姿の神輿守の人たちがずらっと並んでいる。広い交差点一帯を緊張感が支配して、沿道には大勢の見物人がいるのに不思議な静けさがある。

いったい何が始まるのかと道路ぎわの見物人に混じってあちこち眺めていると、隣のご婦人が「ここをね、目の前をね、御神輿がワーッとすごい速さで港の方に走り抜けるんですよ」と教えてくれた。「それが気持ち良くてねー」と。そうか、その駆け抜ける通り道を神輿守の人たちが並んで作っているってことなのか。あとで知るのだがその駆け足で神輿を担ぐことを「もりこみ」、別名「魂振り(たまふり)」と言い、これによって神霊が呼び起こされ霊力再生の願いが叶うという御神輿行列最大の見せ場だそうだ。そういうことは知らなかったが、知らなくてもその最大の見せ場は充分にエキサイティングで、私たちも県庁坂通りを駆け下りてくる神輿に盛大なる拍手を送った。周りを見ると例のフランス6人組も手を上げてはしゃいでいた。
※脚注
長い年月生きているがこのテのことには皆目無知。長崎くんち踊町紹介にも庭先回りスケジュールにも載っていなかった「行列」とは何の行列か、皆が口にしていた「おくだり」とは何のことか、を知りたくて、帰宅後ネットで長崎くんち塾編著「『もってこーい』長崎くんち入門百科」という解説書を入手した。それによると、諏訪神社には「諏訪」「住吉」「森崎」の3柱の神さまが祀られていて、「長崎くんち」では諏訪神社での奉納踊りのあと「お旅所」(神社の祭礼のとき神が巡行の途中で休憩または宿泊する場所―Google参考)のある大波止へ3体の神輿の御神幸(遷宮や祭礼に際し神さまが神輿などに乗って新殿や御旅所に渡御すること)を執りおこなう。この旅路=御神輿行列=の往路を正式には「遷御」、復路を「還御」というが市民は往路を「おくだり」、復路を「おのぼり」といって親しんでいる。長崎くんちの三が日は前日(まえび)、中日(なかび)、後日(あとび)と呼ばれ、諏訪神社に祀られる神輿はまえび急な石段が続く参道を駆け下ってお旅所へ向かい、あとび再び急な石段を駆け上って神社に還っていく。神社⇄お旅所への道順は「おくだり」と「おのぼり」では少々異なる。
20年ぶり、龍(じゃ)との再会
このあとどこへ行ってみようか。迫力ある「もりこみ」の熱気もまだ冷めやらぬ大波止交差点をウロウロしていると、どこからかジャンジャンジャンと聞こえて来たので小躍りした。あれは龍踊(じゃおどり)の唐楽拍子の音ではないか!「近くに龍が来てるはずだよ! 出ていない?」と編集女史に〝長崎くんちナビ2019〟(庭先回りの演し物の現在地を示すスマホサイト)で探してもらう。「あ、いますよ、ここ!」と女史が画面を指差しても、何せ相手は動いているし、その位置情報は1分おきに更新されるので、土地に詳しくない者はなかなか位置を定められない。しかたないので交差点で交通整理をしているお巡りさんに訊ねてみた、龍はいませんか? と。お巡りさん、「龍ですか? さっきあっちにいたようだったけど、どっかに行ったねえ。どこに行ったかなあ、わからないなあ」と首を振るばかり。と、そのとき、「あ、あそこにいますよ、ほらぁ!」と編集女史が叫ぶ。彼女の指が指し示す先に眼をやると、交差点のトイ面に、いました、いました、大きな龍が。角を曲がろうとウネウネうねっている。

その後を追って中国服に身を包んだ大人や子供が太鼓やラッパやシンバル持って走る。


私たちも交差点を駆け抜けて後を追った。龍のやつ、けっこう速くてあっという間に見えなくなった。耳を欹てキョロキョロして、風と共に聞こえてくるジャンジャンジャンという音を頼りに、この通りあの通り、この町角あの町角を走り回り、音が大きく聞こえる一帯に辿り着くと、ついに渋い洋装店前で披露のお告げをしている「花紙」の伝令役を見つけ待つことにした。そしてその4~5分後、ジャジャジャジャジャ~ンという感じで龍のお成りとなったのである。私は直に観たりスマホ越しに観たり(動画を撮ったため)で大忙し。編集女史もパチパチ撮っている。龍は店の人に挨拶したのち「ずぐら」(見失った玉を探してぐるぐるとぐろを巻く動き)をやってみせ歓声を招いた。

踊場の奉納踊りでは持ち時間30分の演し物が庭先回りのお裾分けでは3分ほどに短縮されて、それは残念だ。もっと観たいという気分のまま先を急ぐ龍を追う。

一歩先ではチョークでマーク付けの最中だ。
次の電気屋さんの前で再び迫力満点の「ずぐら」を披露する龍。玉を追いかけ胴をくぐる「玉追い」までも見せてくれた。

おっかけはきゃあきゃあ喜び叫んでいるだけだが、長さ20メートル、重さ150キロの巨体を自由自在に操る10人の龍衆(じゃしゅう)の体力消耗はただごとではないだろう。威勢のいい龍の動きをリアルにそれらしく表現するため龍衆がどんどん入れ替わるのも納得できる。龍踊の奉納は籠町のほかに3町あるが、300年前唐人町に住む中国人から直接伝授されたという籠町の龍が「本家の龍踊」と言われているそうだ。20年前たまたま出会ったあの龍が「本家」だったとは嬉しい限りだ。けれど、あのとき見かけた容姿より本日のほうが鮮明にイキイキ見えるのはどうしてだろう。と思っていたら、やはりタクシーの運転手さんにその答えはあった。「今年の龍は50年ぶりにリニューアルされとっとですよ」。なるほどね。8000枚の鱗は1枚づつ籠町の皆さんの手作りという。町に愛されている祭りであることがしみじみと伝わってくる。これこそ祭りだ。広告代理店などが入り受けを狙って新しく作られた祭りなど、祭りではない。
住宅地でもあちこちに
龍をおっかけてぐるぐると歩いてきたが、今自分たちがどこにいるのかとんとわからず、またまたスマホ頼りになる。スマホのない時代、旅先では地図を片手に歩いていた。今そういう人を見かけることはほとんどないが、私はまだスマホより地図頼り派だ。地図で辿って行くほうが地形や町の全体図がわかって歩きやすいし、様々な町の名前、通りの名前がわかるのも楽しい。けれど今回は、半月前に階段から落ちて頭を激打し回転が鈍くなっているため、いろんな手はずを編集女史に丸投げしているのだ。若い彼女は何かというとスマホなので、今もさっそく取り出して庭先回りのナビ画面を見る。
と、まだ観ていない玉園町の「獅子踊」が山の麓の中町あたりにいるという印がピコピコと出た。時計を見ると午後3時近い。3時のおやつは松翁軒の喫茶室でカステーラという計画だったが、魚の町にあるそこに寄っていると中町を回っている「獅子踊」には会えなくないかい? ってことになり、仕事優先、泣く泣くあきらめ、長崎駅前の大陸橋を渡り坂道だらけの一角へ。
坂は本当に好きなのだけど、歩き疲れた今はちょいとヘヴィーで喘ぎながら一歩一歩上る。年を感じる。さらに年を重ねたら坂のある町には住めないなあ、なんて考えていたらホテルの前に獅子が倒れていた。ギョッとしてよく見ると牡丹の花に飾られた太鼓の前に獅子舞の被りが脱いであったのだ。後ろで演者の人たちが飲み物片手に腰を下ろして談笑している。そばでは紋付き組の人たちが笑いながら何か打ち合わせている。「獅子踊」の休憩時間に鉢合わせしたのだ。聞きたいことはあれこれあったが、今はプライベートな時間だろうから見て見ぬふりで通り過ぎた。ことのほか動きの激しい獅子踊りだもの、休憩なしではやってられないよね。

その先を右折して左折してさらに坂を上っていたら下の方から賑やかな音。振り向くと江戸町の「オランダ船」が道を上ってくる。

ラッキーとばかりその後ろに付いて行く。その昔江戸町は出島の門前町だったため「オランダ船」を奉納するようになったという。子どもたちの音楽隊が乗った大海原をイメージするマリンブルーの鮮やかな船体。それを波の模様の衣装を着けた根曳衆が曳いて回して大奮闘する。オランダの国旗の色の鉢巻きがピリッと決まってカッコいい。坂を上って突き当たりにある老人ホームにもご挨拶。見物に出てこられた御高齢の方々の前で威勢のいい美しい演技が披露された。
「オランダ船」に付いて歩いていたら可愛い景色と出会った。休憩が終わったようで、子どもたち扮するサンコサンと呼ばれる玉使いと共に1頭の獅子が店頭で挨拶していたのだ。頭でっかちの獅子のフォルムは見ているだけで笑みが浮かぶ。獅子はそれから個人のお宅へ行ったり会社へ行ったり幼稚園へ行ったりして、日頃のお世話への感謝の念の踊りを披露していた。獅子を扱うのは獅子舞保存会の人たちだ。そりゃそうだろう、奉納踊りではアクロバティックな動きもやるので、いくら練習を積んだとて素人には扱いきれないものねえ。

最後に近づいて顔を良く見せてもらう。あばれ獅子と呼ばれるこのお獅子、金歯がオスで銀歯がメス。たてがみは麻でできている。ぜんぶで7頭、小獅子も2頭いて、庭先回りは分担して回るそうだ。
足や腰のほか、楽しみすぎて頭も痛くなってきた。日も落ちかけてそろそろ駅に向かう時間となった。編集女史のスマホによると我々長崎駅に着いて今までに9986歩いているそうだ。これから諏訪神社では奉納踊りの夜の部が始まる。踊町の皆さん、庭先回りでお疲れだろうにこれから本番を迎えるのか、と思うと9986歩でヘタっていてはもうしわけない、元気を出そう。庭先回りも楽しかったが、いつかは私も時間を取って奉納踊りを堪能したいと強く思った。「コッコデショ」の友人は奉納踊りに感動して涙が流れた、と言っていたが、私も死ぬまでに一度はそういう経験をしたいと願った。