テレビのグルメ番組で、リポーターの方が食リポをやっている姿をよく見かけます。そこで、「うわぁ、あま〜い」「めっちゃ、やわらか〜い」とか言っているのを聞くと、「イラッ」とします。残念ながら、まったく共感できません。〝おいしさの表現はそれだけかいッ〟とチャンネルを変えてしまいます。
ずいぶん昔、シナリオライターを目指していた時期があって、専門学校に通っていました。その時、講師の方からいわれた一言は今でも忘れません。
「本当に言いたいことは、文字にするな」
言葉を足すと、「本当に言いたいことは、台詞で役者に言わせるのではなく、ト書きや状況描写、芝居を通じて見ている人に感じさせろ」ということです。「その方が、見ている人の心の深い部分に思いが伝わる」。なるほど、その通りです。
日本人特有の感覚かもしれませんが、役者さんが安易に「愛してる」「綺麗だよ」とか言っていると、途端に興ざめしてしまいます。「あま〜い」「やわらか〜い」「おいし〜い」も同類です。一方、言葉に出さずとも、『孤独のグルメ』で松重豊が口いっぱいに食べ物を頬張って、ふごふご言っているのを見ると〝うまそ〜〟となります。まあ、そんな感じの違いです。おいしさを伝えるのは、本当に難しいのです。技術と知識と経験を必要とするのです。
さて、ここからが本題です。私の人生に大きく影響を与えた2人の人物のうちの一人が、作家の開高健です。一般的には『オーパ!』に代表される釣り紀行や、「なにも足さない、なにも引かない」でお馴染みのサントリーのコマーシャルなんかの方が知られているのかもしれませんが、誰が何と言おうと彼は近代日本文学における最高峰の純文学作家であります。博識に裏打ちされた精緻で大胆な言葉選びと美しい文章のリズム。陰と陽、虚と実、静と動が交錯する比類なき構成力と表現力は唯一無二だと思っています。
その作品の中でも群を抜いているのが、代表作『夏の闇』です。私が最初に読んだ開高作品でもあります。小説自体に打ちのめされたのは言うまでもありませんが、もう一つ、強い衝動が生まれました。
「これ食ってみたい…」
小説の冒頭、パリの裏通りにある狭くて汚れたレストランが出てきます。主人公の男性とその恋人がそこでモツの煮込みを食べる場面を読んで、抑えきれない衝動を感じたのです。
そこには、一言も味に関する描写はありません。煮込みそのものの描写、食べている女性の描写があるだけです。でも、とてつもなく美味しそうなのです。どうしても我慢できずに、数年後、当時フランスに留学していた友人を頼ってパリに向かいました。残念ながら、小説に登場するお店を探し当てることができませんでしたが、モツの煮込みは食べてきました。
文字だけで美味しさを伝えるのは、極めて難易度の高い作業です。それを芸術の域にまで高めたのが開高健です。実はこの作品以外にも、食に関する至高の文章は他にもたくさんありますが、それはまたの機会に。
まだ読んだことがないという方は、ぜひご一読を。
